2011年3月11日リューバさん来日

 昨年9月にコムソモリスクナ・アムーレ市立アート美術館で行ったビーズ織り展の作品をリューバ館長自ら横浜まで運んでくださるとのことで 成田空港へ迎えに行きました。

 到着ロビーでお待ちしているまさにその時にあの地震(成田は震度5強だったらしく)は起こり、空港ロビーはとんでもない騒ぎになりました。まだ余震が続く15分後ぐらいに彼女に逢えて無事を確かめ合いました。初めて日本へ降りっ立ったその日だったのに。リムジンバスも電車もタクシーも何も動きませんでした。見える範囲のホテルに行きましたがロビーにも人はあふれ、泊まれる部屋はありませんでした。

 覚悟を決めて水と寝袋をもらって、二人で帰宅難民?になったのでした。翌日もバスは動きませんでしたから やっと昼ごろ動いたJRに乗って、夫の新幹線は動いているとの情報でチケットを買う長蛇の列に並らび 何とか夕方3時過ぎに家にたどり着いたのでした。テレビを付けてあまりに悲惨な津波の跡に泣きました。

 娘は停電になった家で4〜5時間過ごしたそうで 夫は途中から1時間歩いて家にたどり着き、千葉で暮らす息子は7時間歩いて帰宅したそうです。被災された方々に比べたらどうってこともないですが、いろんな人にとってすごく長い1日になってしまいました。こんな日に来日したリューバさんもとてもお気の毒で、翌日も電車は動いていなくて 家の近くの街を案内するだけでした。


横須賀市立美術館のレストラン

美術館のカフェのランチコースの前菜

  千葉で液状化の被災地区にもなってしまった息子宅と、ひどいことになった原発は心配だったけれど この時自分にできることは募金以外には直ぐにできることがあるとも思えなかったので、ゲストを危険な目にも会わせるわけにもいかなかったけれど、せっかくの春の日本を少しでも楽しんで欲しくて 東京よりは危険が少なそうな三浦岬にある横須賀市立美術館へ案内しました。3日前の津波が嘘のような穏やかな海でしたが、私のお気に入りの場所でもあります。帰り道でガソリンスタンドの長い列を見た夫はこの時給油事情を知ったのでした。

 鎌倉や箱根にお連れしたかったけれど、電車事情も心配で三渓園に行ってみました。ほとんど人のいない庭園は静かで平和でした。
(こんな非常時にいっしょに歩いてくれた友人のみきよちゃんに感謝です。)


三渓園の三重の塔

京都から移築された銀閣寺と同じ様式で建てられたらしいお茶室


料理をレクチャー

 写真には残っていませんがリューバさんはお好み焼きやのり巻きも器用に作っていましたので、レシピと写真、焼のり、巻きすなどをプレゼントしました。

熊木ダンススクールのフロアー
  危険がなくて楽しめる場所にお連れしました。しばし余震も原発の危険も忘れられる時間だったと言ってました。・・・絵になるお二人
この他、友人の書家の所にお連れして作品をいただいたり、居合わせたご主人がお茶を立ててくださって 飲み方を教えて下さいました。地震以外にも何か思い出を持ち帰ってくれたでしょうか。(ここでも熊木先生とあかね先生・由美さんとご主人に感謝)

 1週間後にあの怖かった成田空港へ送りましたが 空港は日本を脱出する外国人で長蛇の列を作っていました。そんな中、リューバ館長は「私は尊敬と感謝の気持ちをあなたとご家族や友人そして日本人に贈ります。」と言ってくれたのでした。成田空港からの帰りのバスで隣り合わせた欧米の女性に どこから来たかと尋ねると(2歳の娘と母をアメリカへ送り、ご本人はアメリカ軍の軍人で、これから宮城へ3週間の出動命令が出ていると言いました。日本人のためにありがとうございますとお礼をいい、気を付けてくださいと言って別れたのでした。



 私はこれから、9月に横浜で行われるのビーズ織りの作品展をチャリティーにするように提案しようと思っています。まだまだ余震は大小1年ぐらい続くそうですし、子供たちの将来のために1日も早く原発があれ以上被害を大きくしないで封じ込められるように願うばかりです。